僕の原点

今日、部屋の掃除をしていたら、僕の原点に再会した。

それは、高校1年生の頃の世界史のテスト解答用紙。

36点しか取れなかったテスト。

その裏側には恩師への相談事が載っていた。

恩師からの少し長いメッセージが載っていた。



「好き」って何でしょう。「愛」って何でしょう。2学期の半ばあたりに僕はふられました。その時も先生の言葉を思い出しては、「俺がしたのは立派な恋愛だ」と思いました。でも、今は疑問です。その「好きだった人」が憎いから。
先生は「裏切った」とか思ったら「それは恋愛じゃない」と言いました。「憎い」と思ったり、「むかつく」と思っても同じなんでしょうか。「好きだった人」が「憎い人」です。それはいまだに気持ちがあるからでしょうか。それとも、昔に好きだったからでしょうか。その人と、その人との思い出を頭に浮かべると、腹が煮えくり返るのと同時に、すごく辛いです。辛さのあまり、僕はその人との関係を切りました。本人に「友達をやめる」と言って。
テストの解答の裏にこんな事書いてすみません。俺、ふられる前と後にもやってるんですけど、昨日、自分の手、切ったんです。カッターで。その人のそばにいたら、絶対自分から死ににいく気がします。まだ「辛い」と言える分、状態としては軽いんでしょうけど。時々どうしようもなくなるんです。時間がないので、続きはまたお話します。すみませんでした。



「憎い」と思うのは、その人に何かを期待していたからではないだろうか?自分には何かが欠けていて、それをその人が満たしてくれると思っていたからではないだろうか?
本当に愛する事ができたら、決して傷つく事はない。悲しみや、まして憎しみなどない。なぜなら、本当の愛は、愛する事そのものが喜びだから。自分が誰かを愛する事、それ自体が喜びであり幸せなので、その結果、相手がどういう反応、態度をしても気にならない。本当に大事なのは、人にどうされたかではなく、(もちろん良くしてくれたときの感謝は大切だが)自分がどうしたかだと思う。
君がその人を「憎い」と思うのは、自分を愛していないからだと思う。もし君が、永久に、そして無限にお金が出てくる財布を持っていたとしたらどうだろう?君から100万円もらっておいて、お礼一つ言わないで去っていく人がいたとしても、許せるのではないだろうか?
もし人が、自分の中に愛が満ちていて、しかもそれは無尽蔵である事に気がつけば、自分の想いを受け取ってくれなかった人や、裏切った人、去っていった人を許し、その上愛せるのではないか?
君がその人を憎むのは、その人のせいではなく、君自身にあると思う。
こういうと辛いかもしれない。冷たく聞こえるかもしれない。しかし、問題なのは、彼女が君に何をしたかではなく、彼女のした事に対して、なぜ君が「憎しみ」という反応をしたかなのだと思う。
自分をよく見つめてみるといい。ありのままに、判断を加えないで。ここが好きとか嫌いとか考えないで。長所も短所もただの現象にすぎない。君に欠けているものなど本当はない。もちろん「こうなりたい」と思う事は良い。しかし、それは、自分の欠点をなくす事ではなく、どちらに進みたいかという方向の問題なのだ。
肝心なのは自分自身を愛する事。自分が幸せになる事。そして、幸せになるために他人はまったく役に立たない事(ex.あの子と一緒になれば幸せ…)を知る事だ。
もちろん、私自身、こんな偉そうな事が完全にできるわけではない。しかし、他の人と違うのは、どの方向へ行けば、本当の安心かが得られるかを知っている事だろう。方向さえ間違わなければ、目的地には、いつか必ず着ける。
またゆっくり話そう。私だってある女を心底憎んだ事がある。



読み返せば、自分の恋愛観はもちろん、それ以外の考え方や行動に強い影響を受けている事がわかる。

恩師は、この後の話の中で、「愛」についてこう語った。



「『愛』とは、『相手の本当の幸せを考え、行動する事』だ。」



これに反論はない。

両親から感じる僕への想いが重なるから。

僕はもっと人を愛せるようになりたい。



昔よりこのメッセージの意味がわかった。

ただ、全てがわかったわけではない。

それに、このメッセージが全て正しいとも思わない。

あくまでこの考え方を反証するような生き方をしてみたいと思う。

この考え方以外のものを探し続けようと思う。

それが「僕」が「僕」になるためのキーだと思うから。

もしこの考えが正しかったとしても、それは自分で確かめていこうと思う。

今思う事は、このメッセージに含まれるものが自分にとって大きなものである事に違いがない事。

僕が「理想」とする人間の原点はここにある。

そこに一歩一歩確実に近づいている事は確かだ。



永久に到達する事のない「理想」に向けて。